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人間は出来ることしか出来ないし、そしてまた、この出来ることを定めているのが、人間が生きているこの現実の世界なのである。それが人間を条件づけ規制しているのであって、人間の生き方というのを暗黙のうちに規定しているのである。 人間の自由な可能性といったものは、可能性という時点ですでに条件づけられていて、まさにこのような条件や制約があるからこそ、それが可能性であると言えるのである。そしてまた、これをもって人間が現実の世界を生きているといえるのである。 だからまた人間の可能性というのは、人間のおかれている現実の条件によってすでに定められていて、限定され、方向づけられているといえる。それは暗黙の意識されることのない人間を縛り続ける絶対的な強制力である。これは自分ではもはやどうにもならない定めや掟(おきて)なのである。 意識するはずのない肉体が、意識を無視して肉体自身で何かを指向し感じて、そして求めている。行くアテのない何かの激しい衝動にさいなまされている。それは自分の意思とは別のもともとからあったもので、それが幻のように表れて来て、外の現実の世界へ出ようとしているのである。 |