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風景がにじむというのは夏の特徴であって、光の明暗や色の細かな違いが押しつぶされ浸食されていって、点と点、線と線がつながって太く厚く、そうして明暗をクッキリと浮かび上がらせて、そしてそれが境界線となり、見えるものの輪郭をはっきりと浮かび上がらせている。 これがすなわちカタチであって、しかしそれだけでは何のことかわからない。しかしそこから表面が見えてきて、カゲの濃淡(陰影)や模様となり、光のコントラストといったものが、ものの表面に現れてきて始めて姿(すがた)となる。 陰影とはカゲの濃淡のことで、その移りゆくさまを私たちは見ている。夏にはこの陰影の濃淡と光のコントラストが特に強く感じられる。だから夏の風景には強い明暗の差とともに奥行きと現実感があふれている。また、にじむことによって景色の中のものとものとの境界線がはっきり見えてきて、それぞれのものが強く自己を主張している。顕在的(アクティブ)であり外面的であり感情的であり、そして表出的である。 なぜ、そう感じるのか? 地上にふりそそぐ太陽の光の量がもっとも強い季節だからである。太陽が地上の真上、垂直方向にあってもっとも効率よく地上を照らしているからである。いいかえると熱帯と同じ状態になっているのである。だがしかし、人間の目が感じることのできる許容範囲は限られている。だから、目が感じる基準点というのが、夏には明るい方へと傾向いてゆく。 しかしそれでも、まぶしくてもっとも明るい部分は白く飛んで真っ白になって何も見えなくなる。反対に、もっとも暗い部分は薄暗がりがなくなって真っ暗になる。(日本語ではこれを「緑陰」といっている) 要するに夏には降り注ぐ太陽光が強すぎて、もっとも暗い部分ともっとも明るい部分が、人間の目にはどんかんになって見えなくなるのである。 |