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7、象徴。



このとき視覚は現実を見ているのではなくて、視覚自身の空想と思い込みの世界を見ているのである。それは視覚が見ている夢であり幻の世界なのである。それは視覚の気まぐれと思い込みであり、迷いや悩み、苦しみなのであって、視覚自身の中にある、視覚の印象と象徴の世界なのである。

そうしたことが夢や幻(まぼろし)となって見えて来るのであって、自分自身の中にある意識の届かない世界が、無意識の迷いや気まぐれ、思い込みとなって、それだけが誇大に拡張された偏向となって見えてくるのである。そしてまた、それだけが記憶に残り過大化してしてゆくのである。

無いものが有ると思えてきたり、何かそれと似たものがそれに違いないと思えて来たり、見えてきたりするのである。それは無意識の偏見であり、偏向であり、傾向なのである。

意識から切断された視覚自身が、視覚だけで指向するところのものなのである。私たちはそうした無意識の、意識されざる思い込みと偏向、そしてそれがパターン化された、印象と象徴の世界を生きているのである。

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