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カタチを思考によって抽象化して一般化すると形式として見える。たしかに表面的な形式だけがよく見える。 それは何かというと、何かしらの形式としてとらえて始めてそれが、認められ確かめることが出来るものとして人間に知られてくるからである。つまり形式とは、自分にとってすでに知られているものとの比較において相手を見ているのである。 言いかえると、頭の中で抽象化しパターン化されたカテゴリーの、比較分類された秩序の関連性として、ものごとの意味といったものが理解されているのである。そしてこうした抽象化された考え方の動機や原因となっているのは、感覚の感じ方の反射作用としての、そして、そらがもたらすところの信号化された標識と印象の世界であり、観念化された象徴の世界である。 人間が実際に見えるのは表面のもののカタチであるが、それを思考によって捉(とら)えると抽象化された形式となる。そしてこの形式から内面へと入ってゆくことになる。形式とは、それを見ている人間の思考パターンのことである。そしてこの「思考パターン」というのが、すなわち観念化された象徴の世界なのである。感覚の反射作用がもたらした、信号化された象徴の世界である。 |
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