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精神の中でいつも、どこかが壊れかかっていて、それを直す間もなく、次から次へとどこかが壊れて行く。だからいつも永遠にそれを補修し続けているのである。「生きている」というのは、このことなのである。 そうやって自分というのを保ち続けているのである。固定した不変のものではなくて、立ち止まって留まることが許されず、いつもバタバタと得体の知れない何かにせっつかれ追い立てられているのである。 いつも、いまにも壊れそうになりながら、そうやって自分を生きているのである。そして、そうしたことが自分が生きている、たしかな証明や意味となっているのである。これが無くなれば、死せるタマシイも同然である。 しかしまた、そうやってしか、自分というのが自分の中から現れてこないのである。そうやって、自分というのが自分の中から、よみがえってくるのである。そして自覚され、めざめ、意識されてゆくのである。それは、自分の自分に対する責任であり、使命であり、そしてまたそれが、自分自身の自意識になっているのである。 |
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