そして、これをそうせざるを得なくさせたのが、自分自身の中にある内的な変化であって、すなわち、情緒の不具合であり、障害なのである。いまだ目には見えず、見える現実のカタチとしては現れていないけれども、それが何らかの言い知れぬ不具合や障害として、自分自身の情緒の世界に現れているのである。精神の内部に何か異変が起こっているのである。
それがめくれて、えぐれてきて、そしてその肌地そのものが軋(きし)み、揺れて、歪んできて、そして引き裂かれて、そしてその中から何か得体の知れないものが、自分自身をのぞき込んでいるのである。
自分が自分をのぞき込んでいて、そして、自分で自分を見つめ、問いかけているのである。自分は、はたして誰なのかと。つまり、自分で自分を発見せざるを得なくなっているのである。自分を喪失し、自分が見えなくなっていて、もはやどうにもならなくなって、自分を探し始めているのである。
つまり、これが自分自身の中にある、未知の得体の知れない障害であり、不具合なのであって、そしてまた、これが自己の発見のキッカケと原因を作り出しているのである。
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