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たとえそれが、目に見えることのない、情緒的で気分的なものに過ぎないとしても、そうなのである。そしてたいてい、「始まり」はそうなのである。中世のルネッサンスがそうであった。その政治体制や宗教、産業の変革は、それよりもずっと後になって始まっている。 人間自身の気分や情緒の変化といったものが、現実への目に見えるカタチとして現れるのは、人間自身の情緒的な変化よりも、ずっと後になってからである。 そうした気分や情緒といったものは、始めは文学や芸術の変化として現れている。特にもっとも身近な自分自身のこと、そして人間の身体やその営みの観察から始まっている。もっとも身近な自分自身に対する観察から始まっている。 |
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