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それは、仕方のないことではあるが、しかし実際にはそれが、自己の根源的な反発を招いたり、そしてそれが自意識の自覚へと導いたりもしている。あるいは、自分を外から見ていて、自分で自分をのぞき込むといった、自己意識の自覚へとつながっている。 そしてこれが、本来的な意味での「自由」ではないだろうか。仕方なく、イヤイヤしぶしぶ、自分で自分を生きて行こうとするのである。 それは本人からすれば、ただそうするしかないから、そうしているだけなのである。それ以外に選択肢がないだけなのである。しかし、これを他人から見ると「自由」なのである。自らの意志で自由に生きているように見えるのである。 そして、そのように見えてしまうのである。それ以外に理解のしようがない世界なのである。それが、現実の戒めとオキテを破ろうとしているからである。そうした世界から出て行こうとしている。だから、他人から見ると、それが「自由」のように見えてしまうのである。また、それ以外に理解のしようがない世界なのである。 |
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