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「かすむ」とは、ぼやけると同様に「もの」のあいまいな見え方であるが、「ぼやける」とはその見え方も原因も大きく異なっている。 かすむとは、見る者と景色との間に何か他のものが入ってきて、見えにくくしているのである。他のものとは、たいてい空気中を漂う水蒸気のことである。キリとか、カスミ、モヤがそうである。あるいは大気中に漂うチリとか、それに伴う光の錯乱したノイズなどもある。あるいはまた身体内部の神経や精神の瞬間的な不具合や障害が原因だったりもする。 それは、人間の意志や、主観や、感覚の外にある客観的な強制力なのである。人間の主観的な思い込みだけでは、どうにもならない世界である。 それは、風景の中にキリが入りこんできた場合もそうだし、あるいはまた、なにかの衝撃で脳ミソがぐらついて、脳内の映像にノイズが入る場合もそうである。人間の主観的な思いこみや意志ではどうにもならない、避けようのない客観的なあいまいさであり強制なのである。 この主観的でないというところに、「ぼやける」との決定的な違いがあるのである。コントロール不可能な外からの強制として、見え方のあいまいさがやってくる。だからその意味では確かである。空想ではなく客観的な現実の世界を見ているのである。 あいまいさというのが、外からやって来て内面に反映される。だから、本人の気まぐれが通用しない。だから、なにを見ても聞いても触れても、自分の外の世界からの問いかけとなる。他者というのが、外から自分の内面へとせまって来ているのである。 |
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