index < 日誌 < 2018 < 18-35「かすむ」


 
6、願い。



そして大衆がそれをのぞみ欲している。だからそれは提供され続けなければならない。そして大衆自身が願ったことがそのまま現実となる。そうやって迷信が広がり信仰となってゆく。社会のキズナが上下関係とともに人間の心の中に入ってくる。そしてそれがシキタリやルールとなってゆく。

これは大衆自身がのぞんだことなのである。政府と新聞とテレビに導かれ誘われて、そそのかされた大衆の欲望や偏見、感情といったものが正義と見なされ、そうした偏見と主観が社会全体を支配し、そうでない正直な人々を追いつめ、さげすみ、排除してゆく。これが圧倒的多数の普通の人々なのである。そしてこの普通の人々を土台にして社会が成り立っている。

自分の考えを持たなず、自己主張しないことが美徳とされている。自分の考えを持たない自己主張自体はよこしまな動機に基づいている。しかしこれが、この社会では最も望まれ期待される模範的な人間像なのである。

日本社会ではたいていの自己主張というのが、こうした普通の人々の自発的協調性に基づく、少数者への集団的「ゆすり」と「たかり」、「脅し」なのである。つまり、そうやって世の中というのがなんの軋轢も対立もなく、うまく回っている。そしてこれがごく普通の当たり前の常識なのである。それから出てもならず、逆らってもならない不文律なのである。

そしてこうした不文律からの逸脱した「考え」、個人的で個性的な心情や感情、感覚の感じ方自体が、制裁と処罰の対象となり排除されてゆく。自分自身のなかにある感覚や感情が信じられなくなる。

まったくアホらしくてやってられない。就職と下請けから外されてメシ食ってゆけなくなる。子供と妻を養って行けなくなる。学校ではイジメと「シツケ」を強制される。就職から外される。少数者は意図的に作り出されたものだ。そんなもの現実には存在しない。普通の人々が自分の都合で、群れて媚びて迎合して意図的に作り出したものだ。


 戻る。             履歴へ。

index < 日誌 < 2018 <18-35「かすむ」