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しかし、こういしたことは、それを感じる人間の感覚の問題なのであって、実際にあるはずなのに何も感じない人もいるし、反対に、何もない所に何かを感じてしまう、そうした人間もたしかにいるのである。これは、それを感じる本人の感性や感覚の問題なのである。偏見や思い込みの世界なのである。 たしかに僕は、自分が生きているこの現実のすべてに、何かタマシイというか、生きた精神のようなものを感じてしまう。僕自身の精神といったものが、すがたカタチとなって現実の世界に現れたのであると、そう思えてくるのである。 そしてまた実は、それこそが僕自身の現実のすがたなのであると。そうとしか言いようがないのである。他に言い表しようがないのである。それは僕自身の精神の世界なのであって、ぼく自身の精神といったものが、すがたカタチとなって現実の世界を作りだしたのである、と思えてくるのである。 ちょうど、鏡を透して自分を見るように。鏡の中の自分を見ているのである。鏡のなかに住む、もう一人の他人のような自分に、自分が呑み込まれてしまいそうになるのである。 |
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