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そしてこうしたことが、一つの全体としての世界のバランスなのであって、システムであり、秩序なのであって、そしてこうしたことが、現実の世界を生みだし、そしてカタチ作っているのである。 だからまたこれを、もしも、固有でオリジナルなアイデンティティーを欠いた、個人や国民を単位として見るならば、それはもはや個人でも国民でもないのである。その実体を欠いていると言わざるを得ないのである。見える表面だけがあって、その内実を欠いているのである。 もはや、自分自身を取り戻すことが出来なくなっているのである。そういうワケで、すなわち、固有でオリジナルな個性が求められているのである。自律した自己の内的同一性が求められているのである。 そしてもしも、このような個性がなければ、個人も民族も国民も、そしてまた、国際社会といったものも成り立たないのである。すなわち、その当事者たる本人の居ないところに、国家も社会も成り立たず、存在し得ないのである。 当事者とは、主体としての本人自身のことなのである。そしてこれが、現実世界での自分の存在の仕方なのである。理由であり、意味なのである。そうして、自分自身のオリジナルな記憶を発掘することが求められるのである。そして、これこそがもっとも重要で、かつ困難な作業なのである。 |
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