index< 日誌 < y肉体 <  18-361「意志と情緒」p6


 
2、意志の下。


しかし、男の場合、破壊というのが「意志的」である。自分でもわかっていて、理解しながら、そうしたそうした破壊的な行動へと出るのである。つまり、暴力的ではあっても「意志的」なのである。そうした意味で感情的でも情緒的でもないのである。感情といったものが、自分の意志によって、自分の意志の下で理解されながら、行動しているのである。意識的で計画的なのである。

男の場合、暴力的で破壊的だというのは自分でも分かるのであるが、ではいったい、なぜそうなるのかというのが、自分でも分からないのである。このような自分自身の中にある衝動や本性といったものに、自分で自分に悩んでしまうのである。

なぜ、そうなってしまうのか、そうしなければならないのか、そうしようとするのか、自分でも分からなくなってしまうのである。自分で自分を意識してしまうのである。もしかすると社会の中で置かれている男としての立場が、そうさせるのかも知れない。しかしそうだとしても、そうした役割といったものが男に向いているから、そうなっているのではないか。

戻る。                      続く。


index < 日誌   y肉体 <  18-361「意志と情緒」p6