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それ自体が何かしらの指向性を意識し、それを自覚し、そしてそれに基づいて自己を見ている。これが歴史なのであって、気分や情緒だけでは、このような「歴史」とは言い難(がた)いものなのである。 情緒だけでは、自己の歴史というのが意識も自覚もされないし、またそれが求められたり、必要とされることのない世界である。そうした条件を欠いている世界なのである。つまり、これが歴史以前の世界なのである。 それはまた、自分というのが、自分にとって客観的な存在なのであって、そうして始めて自分というのを客観的に見ることが出来るようになるのである。自分にとっての自分というのが、自分のなかで意識されてくるのである。 それは自分というのを、社会や歴史の中で見ているのであって、また、見ることが出来るのであって、自分の立場や存在というものを意識しているのである。そしてまた、そこから自分が生きて行く方向や方法といったものを探し求めているのである。それはまだ歴史以前ではあるが、その入り口の手前なのである。 |
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