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自己と他者の間の境界が見えるというのは、その精神のカタチがそうなのである。その精神の、生き方・感じ方・考え方が他人と違うということなのである。そしてそれが、目に見える現実のすがたカタチとして見えてくる、ということなのである。そうした自分が意識されているのである。 そして、そうしたことが感じられ、見えてもくるし、理解もされてくるのである。たんに現実の見えるすがたカタチが違うというのではなくて、その違いの中に自分とは違う感じ方や、その精神の領域の違いを見ているのである。 そうした境界線で囲まれた不可侵の、精神のカタチの違いを見ているのである。見える現実のすがたから、見えることのない精神のすがたを見ているのである。感じられてもくるし、意識もされてくるのである。その精神の生き方や感じ方、考え方といったものが見えてくるのである。 自分とは違う生き方や感じ方があるのだというのが分かるのである。だからまた、尊重もするし、理解も出来るし、そして自分が他人とは違う自律した個人なのであるということが、意識されてくるのである。一歩引いたところ、自分自身という境界線の中から他人を見ているのである。見ることが出来るのである。 |
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