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6、主体。


自己の肉体の感じ方とは、これが自分自身の存在の仕方なのであって、自分と現実世界とのかかわり方なのであって、そしてまた、これが自己の同一性なのである。

自分が見るもの聞くもの触れるもの、そうした自分が感じることの出来るすべてのことが、実は自分自身の、自分で自分の感覚の感じ方を見ているのである。そしてこの感じ方というのは、種あるいは民族の、あるいは祖先の歴史の結果なのである。祖先がもたらしたその経験と記憶の歴史の結果なのである。そしてこれが、自己と現実との接点であり、かかわり方なのである。

だからまた、自分が何かを見て感じているというのは、実は、自分自身の中の、自分の感じ方を見ているのであって、それがまた、自分自身の存在の仕方なのであって、自分の祖先がたどってきた、その歴史を見ているということなのである。

そして実は、これが自己の同一性・自律性なのであって、自己と他者が区別される根源的な違いなのである。そしてまた、自分が自分であることの理由なのである。そしてこれが自己の身体であり、そしてその現実であり、その存在の意味なのである。

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