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本人の志(こころざし)は、始めからそのように定められているのである。それは、本人の意志とはほとんど関係がない。ただそのように、それしかないように仕向けられいて、そして導かれてゆくのである。他の方法というのがないのである。 あらかじめ、そうした条件しか用意されていない世界を生きている。そのようにしかなれず、そのようにしか出来ないように、あらかじめ設定されている、そうした条件の下で生きている。これが現実という世界である。現実とは、人間が生きている条件のことなのである。 このあらかじめ「設定」されているというのは、誰かが意図してそうしたのではなくて、現実を生きる人間の様々な必要というのが、結果として、そうした条件を生み出しているという意味でそなのである。 それは、現実を生きる個々の当事者にとってみれば、偶然の出来事なのであるが、これを全体として外から客観的に眺(なが)めて見ると、そうなるしかないように、あらかじめ事前に仕組まれた必然の結果のように見える、ということなのである。 まるで理科の実験のときに、試験管の中をのぞき込んでいるように思えてくる、ということである。 |
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