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そしてこれが、社会全体のそれぞれの者に対して、それぞれのやり方で、それを押し付けてくるのである。そしてこれが人間にとっての現実というものであって、生きている人間が現実にかかわり合うすべてのこと、すなわち、その「時代」というものではないだろうか。人間は物的・空間的な現実だけでなく、時代という時間的に制約された世界を生きているのである。 人間が生きているというは、現実の世界なのであって、現実の場所と空間が必要なのであって、そしてまた人間の肉体自体がそうなのである。それはつまり、人間が生きているその場所によって、人間が規定されるということなのである。地理的にも歴史的にもそうなのである。 これがまた、人間が生きている現実の世界なのである。生活のスタイルも、常識も、習慣や習性も、またそれ以前の感覚の生理作用もそうである。そしてその生き方や、感覚の感じ方、考え方もまたそうなのである。 そうである以上、人間はその存在自体が、自分が生きているこの現実の物的空間によって規定されていると言わざるを得ないのである。そしてそれはまた、時間的な変化の流れ、すなわち時代によっても制限され規定されているのである。 すなわち、このようなあらかじめ条件づけられた現実の世界によって、誘われ、そして導かれているのである。まるで、あらかじめ敷かれたレールの上を歩いて行くように生きてゆくのである。そうせざるを得ないし、そうならざるを得ないのである。 |
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