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それは自分自身の、神聖不可侵の精神の領域といったもので、自己のタマシイは、そうやってしか現実の世界に出てくることが出来ないのである。 精神は、自分のすがたといったものを、現実のカタチを通して表すしかないのである。イメージやカタチや模様として。あるいは現実の自分自身の肉体のカタチとして、そうなのである。 これが、自分が生きている意味や理由といったもので、そしてまた、その方向性を示しているのである。それは「種」ないし民族や国民としての記憶であり、そしてその下で生きてきた民俗の印(しるし)であり、その現れなのである。そして自分とは、この肉体を通して現れてくるのである。 |
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