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それは観念やイメージなどではなくて、それ以前の根源的な、すべての始まりのところにある、自分自身の感覚の感じ方そのものに対して抗議しているのである。限りない疑惑にさいなまれているのである。これは、はたして自分の感覚なのだろうかと、自分の感覚に対して底なしの猜疑心にさいなまれているのである。 あるいは感覚そのものが、自分では表現できずにいるものを、なんとか表現しようと戸惑い、ためらい、揺れて、軋んでいるのである。あるいはまた、引き裂かれて、えぐれて、むき出しになっているのである。 というのは、なぜならそれは、もともと自分の感覚にはないものだからである。だからそれは、パックリと裂けて開いた心の向こう側から、軋んで壊れた、とらえどころのない、得体の知れない「青白い燐光」のようなものとして、浮かび上がってくるのである。 |
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