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1、選別。


「意識する」というのと、感覚機関が何かを感じるというのとは、もともと別のものである。人間が何かを感じるという場合、それ以前に何かを自分の中で選別している。自分の都合に合わせて選別しているのである。

何かを感じる、感じているというのは、この「選別」した後の、感覚の感じ方なのである。そうやって、それが始めて人間に意識されているのである。人間が何かを「意識する」というのは、このことなのである。

意識するのは思考であり、「感じる」というのは感覚器官の作用である。人間が何かを「感じる」といった場合、それ以前に感覚器官が外の世界を選別しているのである。

「感じる」というのは、この無意識の選別作用の結果なのである。人間は自分の都合に合わせて、外の世界を選別し、そして理解しているのである。それ以外のことは知らないし、知る必要がないし、また、知ることもできないのである。

そして、無意識の世界というのは、この感覚器官と意識のちょうど中間あたりの世界である。外の刺激とそれを感じている自分の、ぼんやりしてボヤけた捉えどころのない、それが自分なのか他人のことなのか判別の出来ない、識別のしようのない、そしてまたその必要もない、そうした世界である。自分がハッキリしない、自分が誰なのか分からない、または誰でもよい、そうした世界である。

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