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2、感覚の感覚。


選別前の感覚については、自分でも意識されず、また、何のことか自分でもわからず、あるいは必要でないもの、無関係のものとして、意識されることがないのである。それは、自分にとって知らない感覚であって、知ることも出来ない感覚なのである。

それは、たとえ感覚的には感じられていても、意識以前の無意識の段階で排除されているのである。意味不明でわからないもの、そして、自分にとって関係のないこととして排除されている、そうした感覚なのである。

だからまた、意識というのは、自分自身の感覚器官に対する感覚なのである。意識の、感覚器官に対する感覚なのである。意識は、外の世界を直接に意識しているのではないのである。感覚器官を通して意識しているのである。それは感覚器官に対する意識なのである。外の世界に対する直接的な意識ではないのである。

それは、別の言い方で表現すると、忘れられた感覚である。それは錯覚と誤解の感覚である。それは意識の感覚ではなくて、感覚の感覚であって、意識はそれを自分の直接の感覚と錯覚している以上、そうならざるを得ないのである。

戻る。                   続く。


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