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1、錯覚。


だからまた、このような自己の感じ方といったものは、無意識の世界でイメージにも幻想にもなり得るし、印象や象徴、そしてまた、なんらかの衝動へと誘う符号やサイン(合図)にもなるのである。しかしまた、だからこそ、それ以上のものには成れないのである。

すなわち、それは空想や観念の世界でしかないということなのである。だからまた、それは何らかの確かな、具体的で現実的なカタチとして表現できないのである。どこまで行ってもボヤけてぼんやりしたままの抽象的なイメージにしかならないのである。

また、そうした連想や象徴の世界として、自分の中で作り出して行くことができるのである。しかしそれは、どこまで行っても空想の世界であって、錯覚と誤解の世界でしかないのである。それは、このような空想の世界から出るということがないのであって、それは、現実とは区別された自己の内部の「囲いの中」の世界なのである。

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