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しかしまた、このような「必然性」という考え方自体もまた、後から取って付けたものであって、それはいかようにも解釈できるものであるし、また事実、そのように解釈されてきたのである。たとえば、学校で学ぶ歴史がそうであるし、歴史学そのものがまた、そうなのである。 そしてまた、偶然の必然性という考え方自体も恣意的であって、そうした考え方自体が、それを考える者の社会的立場や利害関係を反映したものに過ぎないのであって、そうした意味では、それはそれで、その社会のシステムの都合や求めに応じた考え方なのである。それはむしろ、偶然の錯覚と考えた方が正しいのである。 |
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