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従ってまた、この現実の見えるすがたカタチを通して、私たちは自分自身のなかにある観念の世界を探り当てて行くことが出来るのである。あるいはまた、自分自身の無意識の世界を垣間見ることになるのである。 そうして自分自身の根源と、その確かな証明を探り当てて行くことができるのである。自分自身というものを確かめてゆくことが出来るのである。自分で自分を知ることも見ることもできるのである。 自分がいまどこにいて、どこから来ていて、そしてどこへ行こうとしているのか知ることができるのである。自分自身の存在の意味と理由を知ることが出来るのである。そしてまた、それを知らなければならないのである。結局、「信じる」というのは、このことなのである。 |
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