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3、儒教。



自分で自分を深く考えたりしない。考えるときは他人との関係で自分を見ている場合であって、つまり利害関係や、それに基づく上下関係や序列を意識する場合だけである。

あくまでも外面的であって、他人に対する自分の立場や見栄や体裁だけであって、自分自身に対して深く考えたりしない。そうした必要もキッカケも場面も存在しない世界を生きている。自分が上か相手が上か、それだけである。そうした上下関係だけでもって自分を見ている。これが「儒教」なのである。

どこまで行っても自分というのが見えることがなく、見る必要もなく、そうした場面も機会も存在しないそうした世界である。むしろ、そうしたことは考えてはならない世界である。そうやって社会というのが成り立っているのである。これが人間関係の基になっていて、そしてこれがすべてである。そうした世界である。


 戻る。              続く。

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