index < 日誌 < 2018 < 朝鮮。<18-38「半島」 |
だからまた、人間的な強さというものも、自分の内面から発するものではなく、自分の外からやってくる上からの無慈悲な強制に基づくものでしかなく、そして、それはまた同時に、自分の下も者に対する情け容赦のない仕打ちやはけぐちとなって維持される。あるのは「上か下か」だけで、そうした関係の中でのみ自分の居場所というのが見つけられるのである。 目的と理由が見失われている。あるのは儒教的な絶対的上下関係だけである。意味のない何の目的も理由もない残酷さ、残酷であること、残酷であればあるほど、それ自体が意味を持つのである。意味のない社会にあっては、無意味であること自体がもっとも重要で決定的な意味をもつのである。そしてそれが社会の秩序を保存し維持してゆく要(かなめ)となっている。 だから専制と恐怖政治はなくならない。それは人民が求めたものだ。儒教と家父長制の古いシステムにしがみ続けた結果なのである。自己を放棄し権力という他人に自分を隷属させた結果なのである。人間というのが、そこから抜け出るということがないのである。 |