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3、強制力。


このような条件といったものが、まさに自分のものではないという意味で、それが自分の存在でありながら、自分自身でそれを否定してゆくのである。そうした関係性を「個人」と言っているのである。自分で自分を否定してゆくのである。

またそうしたことが、自己の発掘と発見、そして自己の創造の場面となっているのである。このようにして、初め個人の主観に過ぎなかったものが、長い年月の経過のなかで、人々に共有され、一般化され、そうして無意識の常識として固定されて行って、客観的なものとなってゆくのである。常識やシキタリ、習慣となってゆくのである。

そうして、この客観的なものとは、つまり、人間同士のつながりやキズナのことであって、人間社会にとって意識されることがないにもかかわらず、どうしても必要な前提となっているものなのである。

その社会が成り立つところのシステムの理由や、その正当性の根拠となっているもののことなのである。しかしまた同時に、そうした意味でも人間は、この見えない強制力に支配され規制もされてもいて、そして条件づけられているのである。また、そうしたことが、自分が他人のように感じられてくる原因となっているのである。

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