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自分の意識の領域そのものが、すでに人間の存在の仕方としてあらかじめ定形化されているのである。そして、この定形化された意識のあり方といったものが、自分にとっての無意識の世界なのである。そしてそれは、人間にとってどうにもならない、条件であり前提なのである。 それは、「感覚的」には、寒い、熱い、痛い、かたい、ゆるいなどであり、「感性的」には、鈍い、鋭い、おおまか、細かい、おおらか、陰鬱などであり、「情緒的」には、気持ちが良い・悪いといった気分や雰囲気の事であり、おだやか、短気、デリケート、あるいは気分的な心地良さとか、険悪な雰囲気とか、凄さとか、そうしたリズムとしての感じ方のことである。 しかしそうしたことは、たいてい客観的に、あるいは空間的にも民族的にも、あらかじめ定められていて、方向づけられているのである。そうした何らかの規則の上に成り立っていて、そして条件づけられているのである。 |
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