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人間が何かを知り、印象し、意識するのは、そうした何らかの感覚を仕分け分類し、自分のなかでそれと似たものに関連づけて、同じものとして見なそうとするからである。それ以外に知る手掛かりになるものがないからである。意識することなく無意識の内にそうしているのである。暗示、類推、連想、象徴、抽象化などがそうである。 そうやって、それがはたして何だったのかというのを理解するのである。または、「理解した」と思い込むことが出来るのである。そして、それはイメージとか言葉でもって表現される。それ以外に表現のしようがなく、そしてまた、それは自分にとって表現されなければならないものなのである。 意識は、イメージや音や感触や気配いや、そして言葉でも他人に伝えることが出来る。しかし、。音や感触や気配といったものはカタチにはならない。それはカタチとは別のものである。 そうだとしても、意識は自分の感覚器官を通してのみ、他人に伝えることが出来るのである。なぜなら他人もまた、自分と同じ「種」だからである。同一の感覚と、同一肉体構造をもつからである。また、感覚の感じ方から言ってもそうなのである。 仕分けられた自分の経験といったものが、過去の自分の記憶と関連づけられて、なにか意味のあるものとして意識され理解されてくるのである。自分自身に対しても、そしてまた、他人に対してもそうなのである。 |
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