index< 日誌 < d無意識 < 18-384「無意識の記憶」p5- |
イメージないし言葉によって、印象にカタチが与えられ、それが自分にとって似たもの、「同じもの」として意識される。 同じものとは、自分の中で経験されてきた記憶の世界がそうであるし、また、他人に対しても、他人との交流の中で、他人の中にもそれと同じものを見ているのである。こうして、感じ方というのが自分と他人との間で、同じものとして共有される。 自分の印象というのがカタチとして意識され、理解もされ、知ることが出来るようになる。それはまた、他人との関係においても、他人の立場立って自分を見ていると思えてくる。つまり、自分というのが、他人と自分との間を行ったり来たりしているのである。 場合によっては、どちらが本当の自分なのか分からなくなる。それがわかるのは、自分の現実のすがたと関係づけて自分を見た場合である。自分の身体だけが自分を守り、そして自分の身体だけが、自分を現実の世界に対して働きかけてゆくことができるのである。そうしたことが自分自身なのである。 |
index < 日誌 < d無意識 < 18-383「続、同じもの」p6-