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2、否定。

だから、自分で自分を否定するというのは誰もしたがらないし、できないし、してはならないし、そうして誰もがこれを避けるのである。それどころか、自分のすべてを賭けて、命がけでもそれを守ろうとするのである。

なぜなら、それこそが自分のすべてだからである。自分自身の精神であり、タマシイであるからである。事実、100年ほど前なら、これを民族のタマシイなどといって、誰もが死に急いだのである。

しかしまた、そうした自分自身の否定なくして、真実の自分というのは見えてこないのである。だから、今日においては、そういうことは誰もしたがらないし、避けるし、気づかないようにしているし、自分でも意図的に見えないように努めているのである。それは見てはならないものなのである。

戻る。                    続く。


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