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日本のどこにいても感じる思いやりとか気配りといっても、それは日本特有のものであって、ヨーロッパ人からそれを見ると、それはプライバシーの侵害であり、同じ東アジアの中国や韓国から見ると、なんやらわけのわからない理解不可能な、わずらわしく、うっとうしいものでしかない。もともとそういう感覚自体が心の中にないのである。 それは、日本という歴史的にも地理的にも隔離され、ガラパゴス化した均質で固定化した社会にしか成立し得ない特殊な現象、心の持ち様、心の営みなのである。 このような考え方と行動の型は日本特有のもので、日本以外の世界にはないもので、通用することもない。日本だけがそうなのであって、そうした意味で変わっているのは日本の方である。そしてまたこれが日本人の自意識とアイデンティティー、日本人が自分自身を確かめる示標となっている。 日本からすると日本以外の国々が外(そと)の世界であり、日本とは、この外の世界に対する内(うち)の世界なのである。つまり外の世界に対するもの。ほかの言い方をするとアメリカとユーラシア大陸に対するものとして、自分たちを見ているのである。外の世界、それは同時にまた、大陸に対するものとして自分を意識し自覚する場面なのである。そして自分を理解する場面ともなっている。 |
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