index< 日誌 < d無意識 < 18-398「続、外の世界」P2- |
めざめて、そして自分に気づき、自分を発見し、そして自分が自分であろうとしているのである。そうしたことが、自分自身の肉体の感触として伝わってきて、そして、現実の世界に現れ出てきているのである。 それは、自分が自覚しなければならず、意識されなければならないものだったのである。しかしまた、それが何であるかを未だ知らず、わけも分からず、あれやこれやとさ迷い続けてきたものなのである。だからそれは、明確な観念やイメージとして現れることがなかったのである。 しかしまた、それは、何らかのカタチとして、現れなければならないものだったのである。そうでないことには、そのままでいることは、自分が自分の中で壊れて行くしかないものだったのである。だからどうしても、なんとしても、自分の外の現実の世界へ浮かび上がってきて、映し出されなければならなかったのである。 |