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4、情緒。
たとえば、何か楽しいことがあっても、それがなぜなのかわからないし、わかる必要もない。ただ楽しいのである。そしてまた、これからもずっと楽しくあり続けようと努めるのである。その理由や、条件や、筋道や、ワケといったものは、ただの言い訳で十分であり、そもそもそんなことはどうでもよいことであって、「まやかし」に過ぎないのである。

ただ、たのしければ何でもよく、どんなものにもなれるし、そしてまた、それだけで十分なのである。それは現実からも、そして自意識からも独立した、そしてまたかかわりあうことのない、生理的な意識されざる情緒の世界なのである。

それにしても、これら情緒の世界を支配し、コントロールし、条件づけているのは、いったい何なのだろう。それは一つは、彼が生きている現実の世界であり、もう一つは、幾世代にわたり受け継がれてきた、彼自身の、感覚と神経の物理的・生理的特性と、その時間的な方向と傾向である。

しかしまた、こうしたことが自己の内的同一性でもあって、自分というのが、自分以外の者になれないし、なり得ないということを示している。

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