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「外へ」というのは、自分にとっての意識の外の世界であって、自分の中の未知で無意識な、とらえどころのない、知られざる、自分にとってはまったく得体の知れない世界を意味している。 だから従ってまた、そうした観念の世界は、イメージや何かしらの論理として、あるいは何らかの物語として表現するしかないのである。なぜなら、イメージや論理などという自分がすでに知っているものを通してしか、新しい未知なものを表現し得ないからである。知らないものといっても、すでに知っているものを通してしか、表現のしようがないのである。 従ってまたそれは、わけのわからない、とらえどころのない、模糊として漠然とした、色とりどりの様々に現れては消えて行く、まだら模様のようなものでしかない。それはイメージや論理となる前の世界である。 感情以前の、感情として意識される以前の無意識の、相手のいない自己感情、情緒や、肉体の生理のリズムの抑揚や、そうしたことが繰り返さるパターンの世界である。 |