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3、普遍性。


またそうして、自分の外の世界を知ることができるのであって、また、自己と他者との区別を知るのである。自分ではどうにもならない他者の存在というのを知るのである。

そしてそれは、自己と他者を同様に区別して見ているところの、第三者としての客観というのを知ることにもなり、そして、そうした客観性を意識する普遍性へと向かうことにもなる。それは、避けられない必然であり、そしてまた、それが自己の存在理由であり、意味なのである。

自己が自らを意識して、自己の外へ出てきた瞬間、すなわち、現実の世界へ出てきたとき、それがすでに自らの理由であり、必然性となっている。すなわち、相手を知る主観となり、それを見て意識する第三者としての客観となり、そして、そうしたあまねく客観性の総体としての普遍性へと指向しているのである。

それは、夢からめざめて、どうにもならない自分の現実を知るのと同じである。これが現実なのであって、そしてまた、この現実を通してのみ、生きている自己の存在を確かめることができるのである。


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