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9、天敵。



既存の原理と合わない、それとは異質の原理をこの人間は求めているのである。だから確かに「あやしい」のである。良いとか悪いとか、正しいとか正しくないとか、そういう問題ではないのである。要は、もともと「合わない」ということなのである。

あるいは、キリスト教的な自己意識の存在しない社会にあっては、自己意識そのものが悪とみなされるのである。自分たちのシキタリやオキテ、そしてもっとも大切な自分たちの存在理由を破壊する天敵とみなされるのである。それがつまり「合わない」のである。相性が合わないのである。

ガマンのならない、許すことのできない存在なのである。それは自分たちの存在を脅かす恐ろしい存在なのである。だからまた、何としても排除しなければならず、追放するか隔離するか、あるいはまた破壊しておかなければならない存在なのである。これは我々のシステムの外の人間であって、そうである限りこのシステムを破壊する存在でしかないのである。我々の正義や秩序、そしてその営みの根源を破壊する存在なのである。


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