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 5 「日本的なもの」

5、 行列。


日本の街角や商店の前では、
よく、行列を見かける。でもそれは、
その店が特に優れているとか、
そこにしかない何か特別のものを、
提供しているからではない。
勘違いしてはならない。

日本人は何か目的があって、
行列に加わっているのではないのである
行列自体が、群れの中にいるということ自体が、
目的なのである。今、みんなといっしょにいる、
ということ自体が目的なのである。
これこそが日本の信仰であり、宗教であり、
自分が今、生きているという証明なのである。
無宗教とは、まさにこのことなのである。

集団という「和」の中で、
自己意識がぼんやりと隠れたままで、
自分自身の考えというのを持たないのである。
だから、行列もするし、自らすすんで、
整然と秩序正しく並ぶのである。
波風が立つことなく、素直に、まるでそれこそ美しく、
キレイに集団の中に溶け込んでいる。
そして、それこそが、日本の自己認識の仕方であり、
自意識そのものなのである。

文化的無思想。
技術における、文化との断絶。
応用に長(た)けた、行き当たりばったりの、
臨機応変の現実的な態度の根底にあるのは、
それは、「群れる」ということを求める。
「群れている」ということ自体が、
日本人にとって、唯一の信仰であるとともに、
唯一の関心事なのである。
そして、これが「現実的である」という、
意味なのである。


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