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 5 「日本的なもの」

4、 実際的。


そもそも「神・仏・儒、習合思想」自体が、
宗教無視、無宗教の極みなのであるが、
そのうえ、無思想である。そして、臨機応変。
現実的で、実際的で、実践的で、
その上、そもそもの始めからして、何かの応用であること。
この何かとは、すでに出来上がっているものの、
受け売りという意味である。

そして、この何かというのを、
探究するようなことはしない。
それは、奇人・変人のすることと見なされる。
集団的にわとり小屋の世界である。
どんな些細なことでも、周りのみんなと、
少しでも違っているというだけで、
大騒ぎしてパニックにおちいる。

そして、この行動パターンから逸脱するものは、
社会的異物と見なされる。
集団の「空気」というのが重要な意味を帯びていて、
その場面ごとの「空気」が秩序を決めている。
だから、「群れる」ということが、前提になる。
「群れている」ということ自体が、
最も重大な関心事なのである。

この規範、この行動と、
この考え方のパターンから逸脱するものは、
社会的異物、よそ者、
空気の読めない落ちこぼれでしかないのである。


 戻る。              続く。



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