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1、忘れもの。



見えているはずの現実の「もの」が見えないというのは、本人がそれを見ようとしないからであり、本人にとって興味のないもの、または都合の悪いことであって、たとえ見えていても見えないのである。見えていてはいけないことなのである。これはタブーなのである。

そこのところが大いに気にかかるのである。本人の都合、興味のあること、求めているもの、それ自体がすでに社会にとっての要請であり必然なのである。社会が求めるものにそれと意識することなく合わせてバランスさせているのである。

自分でも意識したり気づいたりすることなく、ごく当たり前に無意識のうちにそうしているのである。またそれが自分にとって生きて行く方法なのである。人間は自分でも意識せず気づかないまま、無意識のうちにそうした行動をとっている。またそれは、そうでなければならないのである。

見えないところというのは、本来は見えていたところだということである。それが自分の都合によって見えなくなっているのである。だから見えないところというのは、自分の都合とのかかわりのないところ、または都合の悪いところ、あるいは係わりがあってはならないところ、つまり無意識の世界でなければならない、ということである。または意識されることのない無意識の世界だということである。

そして、実はここにこそ自分にとって、もっとも大事な根源みたいなもの、本質的なものを感じてしまうのである。それは自分が自分に隠(かく)し続けてきたものだからである。


戻る。            続く。

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