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どこそこのだれそれが、どこで何を見聞きしそれをどう感じ、何を考え、どう行動したかなどといったことは、本来だれにとっても、どうでもよいことであって知る必要もなければ、知ることもできないし、そうした関心すらも起こらない、なんら関係のない他人の出来事である。 だがしかし、そうした感覚、感覚そのもの。そもそも、「感覚」とはいったい何なのだろう? 感覚自体が単独で求め指向するもの。その機能や仕組みから導き出されてくる条件や方向性といったもの。それらすべては、もともと自分に無かったものである。自分の精神は感覚とは別のものなのである。 それは、自分とは別のだれか他者によって与えられたものであって、他者によって定められパターン化したものを、自分自身の感覚であるかのように勘違いしているのではないだろうか。 つまり、実際のところ自分が持っている肉体の感覚というのは、本来、他者のものであって、それが自意識との関係の中で自覚され、意識され、そして自分のものとして現実化してきたものではないだろうか?ここでいう他者とは祖先のことであって、そこから自分というのが意識されて来るのである。 |
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