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そうした意味で、それと意識されることなく感じられる肉体の感覚も、そしてそれを感じる意識のあり方も、あるいはまた、たんなる気分としての情緒といったものも、自分の預かり知らぬ見知らぬ他者の絶対的な意志の強制といえないだろうか? 自分は自分でも気づかないまま見知らぬ他人によって支配され強制されている、と言えないだろうか。 言いかえると自分の感覚や意識、何かを目指す意志といったものが、見知らぬ誰かの絶対的な意志の力によって条件づけられ、方向づけられ、与えられて来たということである。そしてまた、そうする以外に何かを感じ意識するといったことが、自意識として獲得されることがなかっただろう、ということである。 それでは自分の中に入り込んでいる他者としての絶対的強制力、自分の意識や感覚、考え方や行動までも支配している、絶対的な強制力としての他者とは、その正体とは、いったい何なのか? それはひとことでいうと、その文明を動かしている根本原理と、それがカタチとなって機能している文明の様式であると言える。まさしく、この基本原理と様式によってすべてが説明される。これが個人の気まぐれや思いつき、感情の持ち方や考え方のパターンに至るまで、それらすべてを規制し方向づけ、条件づけている必然性なのである。 |
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