index < 日誌 < 2018 < 6 「自意識。」


 
8、主体。



もしも自分が、このシステムの中で「上の者」であって、「下の者」を押さえつける立場の者であったらどうだろう? やはりそうやって押さえつけて弾圧する。そうするしかない。それが自分に与えられた役目というものだ。これが自分の立場というもので、社会の人間関係の中で生きている以上、そうするしかなく、またそうしなければならない。これが自分の持って生まれた立場であり、役割なのである。それに逆らうことは許されないことなのである。

しかしまた、本当の自由というのは、こうした中でしか生まれて来ないのである。それは止むを得ず、仕方なく、自分ではどうにもならずに、押し出されてくるのである。それは、どこへも行き場のない不自由の中でしか発見できないものなのである。

だれかに導かれ、誘われ、あるいはそそのかされて、そうやって「自由」になるというものではないのでる。自由とは主体的で自主的なものなのである。真の自由はそうした中でしか見えてこないのである。

それは自分が望んだり、願ったりしたものではなく、自分の意志とは関係のないところで押し出されてきたものなのである。そして気が付くとそうしたところにいる自分というのを見てしまうのである。どこか他人と違う自分というのを意識してしまうのである。

意識だけが現実を離れて自分を見ているのである。そうやって現実というのを別世界からながめていて、そして、自分が生きている現実というのが、それまでとは全然別の意味を持つにいたるのである。感じ方、考え方、かかわり方といったものが異質なものになっている。自分がどこかで変わってしまっているのである。自分にとって現実の持つ意味といったものがまったく異質なものになってしまっている。


 戻る。              目次へ。



index < 日誌 < 2018 < 6 「自意識。」 <