index < 日誌 < 2018 < 6 「自意識。」 |
人間にとって最も大切で重要な「自由」といったものはこのような絶対的な不自由な中からでしか生まれて来ないからである。そうした意味で「差別」は必要なことだし、仕方のないことのようにも思えてくる。 学校の先生、学者や偉い人といった「上の者」といった、押し付けの作られ、与えられた自由といったものは、まやかしとウソで偽善にしかならないのである。そしてこれこそが現在日本のすべてなのである。 だから差別は必要なのである。 そこから、そうやって初めて本当の自分自身にとっての「自由」というのが自覚されてくるのである。眠っていたのが目覚めるのである。本人の意思とは関係なく、実に致し方なく、やむを得ず、そうせざるを得なくなるのである。 他に自分が生きてゆく方法を閉ざされてしまうのである。それしかなく、そうやって生きてゆくしかなくなるのである。現実の何もかもすべてを否定して、自分で自分を生きてゆくしかなくなるのである。これは本人の意志や願いとは関係のない、実に仕方のないことなのである。 それ以外に生きて行く方法がないのである。そうするしかないのである。実は、まさしくこれが「自由」なのである。自分の思い通りにならないこと、そして自分で自分を生きて行く。楽しく嬉しいことなど何もない。苦しいだけである。そしてこれが自分にとっての本当の自由なのである。自分で自分を生きるとはこのことなのである。 |