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6、必要。



ある意味で「差別」は必要なことのようにも思えてくる。差別される人間は差別されるようなことをしているのかも知れない。自業自得というか、自分が蒔いた種の結果なのである。いまの現実を作り出したのは、当事者たる本人に責任があるのだと、思えてくるのである。結果には原因がある。その原因を作り出したのは本人にも責任があるのではないか、ということである。

しかしやはり、ある意味だけでなく一般的に、普通の意味でも、差別は必要なことのように思えてくる。
なぜか?
それが良いか悪いかなどという良心の問題などではなくて、人間社会というのが成り立つためには、どうしても秩序というのが必要なのである。良いも悪いもないのである。

社会である以上、あるいはどんな人間集団でも、それが集団ないし組織である以上、上の者の言うことは絶対なのである。学校の先生、会社の上司、警察、法律といったものがそうである。

そうやって社会というのが成り立ち、維持されているのである。それが正しいか間違っているかなどというのは関係なく、そうやって社会の秩序と法律が維持されているのである。それが良いか悪いかなどというのは何の関係もなく、そうやって社会というのが成り立っているのである。

それが正しいか悪いかなどとはおかまいなく、上の者の言うことは絶対なのであって、そうやって始めて社会というのが成り立ち、存立しうるのである。従ってまた、差別は仕方がないし、そしてまた、それ以上に必要なことなのである。


 戻る。              続く。



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