index < 日誌 <理由。<18-63 「何を見ている?」


 
5、理由。



さらにまた、文明というのが一つではないということは、唯一絶対の文明の原理などないということでもある。歴史的にも地域的にもそうである。それは、それぞれの文明が発生して来た、風土の歴史的・地理的必然性と自然条件からも、そうであると言える。

それは、いわば個性なのであって一律に比較できないものなのである、と同時にやはり、それが指向する方向性においては、同一の普遍的なものを目指しているとも思えてくる。

それぞれの民族にとっての原理も、また、個人にとってのアイデンティティーも、けっして絶対的なものではなく、相対的なものでしかないということである。

自分がいま生きているこの文明の原理も、そして自分自身の存在といったものも、常に変化にさらされ脅かされ続ける不安定な幻のようなものに過ぎず、そうしたなかにあって、自分が本当に心やすらぐ安住の場所などあるはずもなく、もしもそれを求めるとするならば、はてしのない永遠なものを求めて、絶えず自己変異・変身を繰り返し続けるしかないのである。

そうした終わりなき無限の自己否定でしかないという、まことに苦しく疲れるだけの人生なのである。何かを求め努力した結果ではなくて、その過程そのもの、常に変化し続けるその過程こそが自己の存在理由になっている。


戻る。               履歴へ

index < 日誌 <理由<18-63 「何を見ている?」