index < 日誌 <怪談、<18-65 「目の中」 |
それは、自分自身の中にある感覚の、生理的な機能の特徴として保存されていて、 それが感覚の不具合もしくは障害として現れている。だからそれが何かわからないし、理由も、すがたも、何もかもがいつまでたってもわからないままなのである。知りようがないし、なんの手がかりもないままなのである。 そうした感覚の不具合がノイズとなって目の前をかすめ、何やらワケのわからない、うめき声となって魂の奥底から聞こえてくるのである。魂(たましい)を引き裂いてくるのである。そしてやがてそれが何かのしぐさや動き、カタチやイメージとなって印象されるようになる。自分の中にあった何か不可解なものがそのカタチを現してくる。 カタチに、ならざるを得ないのである。 カタチに、ならなければならないのである。 カタチにならずして、それが何なのか思いだすことができないのである。また、思いだされることもなく、仮に思い出されても、それが何なのか知りようがないのである。だから、どうしてもカタチになるしかないのである。民族の古代の神話や儀式、彫刻や歌や踊りがそうではないだろうか。 |
index < 日誌 <怪談、<18-65 「目の中」