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それはまた別の側面から見ると、見失われた民族の忘れられた記憶の世界を見ているのである。目に見える現実のカタチとかイメージではなくて、自分自身のカラダのなかで感じられる生理的・情緒的な特性として、それが感じられ意識されているのである。そしてそれが誰かの人影や、その気配として感じられているのである。 それを、象徴し印象する幻のようなイメージとして、それが意識され迫ってくるのである。何もないところに、何かあるように思えて来て、そうした気配を感じてしまうのである。 象徴とは、このことなのである。象徴とはそれを透して何かを予感し、印象し、暗示し、そして導き、示唆しているのである。 それは、自分でも理解できない不可解で訳のわからないイメージとして、もしくは、自分に付きまとう誰かの影、気配なのである。それは自分の中にあって自分を支配している感情とか情緒がイメージ化されたのであって、何か実際にある現実のものがイメージ化されたのではないのである。 だから、何もないところに、何かあるように思えてくるのである。と同時にそれに気づかなければならないのである。それこそが自分自身の感覚なのだから。自分にしかない自分自身の根源だからである。それは自分自身の精神のすがたなのである。 |
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