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4、思い込み。



それは、よくよく考えて見なければならない。
人間というのが、現実にないものまでを見ているのである。忘れられた肉体の記憶として。そしてそれが感覚として生成されてきた自分自身の生理的機能の特質として現れている。自分の感覚そのものの中に、自分自身の肉体の記憶を見ているのである。

自己の同一性がどこかで切断されていて、そして自分を見失い、自分が誰なのか分からなくなている。そうした見失われた自分というのが、夢やマボロシや錯視となって現れている。

しかし、こうしたことが個人的な主観や「思い込み」であると考えるのは間違っている。なぜなら、私たちが生きている現実そのもの、暮らしそのものがこのような「思い込み」を作り出しているからである。自分が生きている理由や居場所がそうである。

そしてそれが、あやしい偽善のまやかしだと気づいたとき、自分が誰かわからなくなって、自分を見失ってしまう。ウソでも、偽善でも、デッチ上げでも、なんでも構わない、なんでもよいから、理由を与え続けなければならないのである。

シキタリや習慣、法律や約束事もこのような思い込みの、大多数の人々による無言の合意の産物なのである。そうやって、この実にしらじらしくもわざとらしい、現実という舞台の上で、自分に与えられた役割を演じ続けられるのである。だからまた、自分が他人のように思えて来て当然なのである。


戻る。               続く。

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